夏の終 霊峰の青い龍

霊峰には、青き竜が住む。

ローヌ川の氾濫。
シオンの夏の嵐。
マンハッターホルンの雪雪崩。

割れた大地も、轟く雷鳴も、
天地の総ては、竜の鼓動となる。



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むかしむかし、お花畑のお家に住む、小さな魔法使いの女の子がいました。
名前を、アリア、と言いました。
彼女は一人で暮らしていましたが、彼女は寂しいと思ったことはありません。
なぜならアリアは、妖精とお話することができたからです。

花の妖精、木の妖精と、動物の妖精。
多くの妖精と話すことができました。
アリアにとって、身の回りのいのち全てが、友達でした。

アリアは夏が好きでした。
夏は、みんなが一番元気な季節だからです。
エーデルワイスの花が咲き、
シラカバの木は緑のドレスでおしゃれをし、
ハイランダーは彼女を乗せて走ります。
「アリア、アリア、今日はどこに行きたいかい?」
「私ね!今日はあの山の上までいきたい!」
彼女にとって、夏が一番楽しいのです。

アリアは秋が嫌いでした。
秋は、みんながいなくなってしまう季節だからです。
花たちは枯れ、木々は元気を失くし、動物たちは徐々に自分の前から姿を消していきます。
アリアがどれだけ行かないでと言っても、みんな彼女の前から消えてしまいました。

冬は、誰もいません。
ただ、氷の妖精だけが、アリアの友達でした。
「ようせいさん、ようせいさん、どうしてふゆは、こんなに寂しいの?」
氷の妖精は、他のどの妖精よりも元気でした。
目に涙を溜めているアリアを泣かせたくなかったのです。
「大丈夫だよアリア!なんてったって私がいるんだからね!」

それでも、アリアはやっぱり不安でした。

「どうして、みんないなくなっちゃうの?」
「それはね!みんな、アリアに綺麗なものを見せたいんだよ!」
「きれいなもの?」
「そうだよ!だから、みんなその準備をしてるんだ!」
「そうなんだ!じゃあ、はるになったら、またみんなと会えるね!」
「うん!間違いないさ!」
氷の妖精がいたので、彼女は独りではありませんでした。


そうして春になると、また妖精たちと会うことができました。
でも誰も、アリアのことを覚えていません。
なぜなら、アリアの会った妖精たちとは、別のいのちだったからです。
「こおりのようせいさんのうそつき!」
「アリア、ごめん、ごめんよ・・・」
氷の妖精が何度謝っても、アリアはずっと泣いていました。


だから、アリアは秋が嫌いでした。
秋は、みんなとさよならをしないといけない季節だからです。
それが寂しくてたまらなかった彼女は、色んな妖精たちに話を聞くことにしました。
「あきになるとみんな死んじゃうんだよ。だから、ずっとなつがいいよね?そう思うよね?」
ひまわりの妖精は答えました。
「私たちもずっと夏がいいわ!太陽様をずっと見ていられるのですもの!」
ミツバチの妖精は答えました。
「俺たちも夏がいいぜ!なんてったって、たくさん蜜が取れるからな!ずっと夏なら女王様に褒めてもらえるぜ!」
それを聞いて、アリアは喜びました!
「じゃあ、私が魔法でずっとなつにしてあげるね!」

そうして、夏が終わらない世界になりました。



妖精たちは大喜びでした。
「アリアちゃんありがとー!」
「太陽様こっち向いてー!」
「これで女王様に喜んでもらえるぜ!」

それから、アリアは毎日毎日、妖精たちと大はしゃぎをしていました。
これで自分はずっと、ずっと幸せだと、彼女はそう思っていました。

そんな中、氷の妖精が、アリアと喧嘩をしたのです。
「ねえアリア、そろそろ夏を終わらせた方がいいよ。」
「どうして?だってみんなこんなに元気なんだよ?」
「だって、これじゃあ、みんな死んじゃうよ!」
「そんなことないもん!あきが来たらみんなが死んじゃうんだわ!なつで死ぬわけないじゃない!氷のようせいさんの嘘つき!きらい!」
氷の妖精の言葉は、何を言っても彼女に届くことはありませんでした。

夏は、いのちを成長させます。
ひまわりはおうちの屋根より大きくなり、
みつばちの針はどんどん鋭くなっていきました。
多くの妖精たちが、どんどん大きくなりました。
世界は、妖精たちでぎゅうぎゅうになっていました。

そんな中、ある日、おうちよりも大きくなったひまわりに、足が生えてきました。
「これで私も毎日太陽様を追いかけられるわ!アリアちゃんのおかげよ!」
ひまわりの妖精は大喜びで、どすどす、と、太陽を追いかけていきました。

ひまわりの妖精が走り回るので、土がぐちゃぐちゃになってしまいました。
大根さんたちは「踏みつけないで!」と怒っています。

みつばちの針がするどくなりすぎて、エーデルワイスのお花を貫いてしまいました。
お花たちは「痛いじゃない!」と、叫んでいます。

そうして、妖精たちは、いつも喧嘩をするようになりました。
それを見ていたアリアは、悲しくて辛くて、
「みんな仲良くして!なんで仲良くできないの!」と、
泣きながら叫びました。


その涙がきっかけになったのか、大洪水が起こりました。
アルプスの氷が、終わらない夏のせいで溶け出してしまったのです。
そうして、アリアの住んでいたお花畑は、ぐちゃぐちゃのドロドロになってしまいました。
アリアも、水に流されて気を失ってしまいました。

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どこか遠くから、星の声が聞こえる。
世界の怨嗟が、私を覆う。

ーーー汝は、世界に呪われた。
ーーーどれ、その事実を努忘れないよう、身体に刻み込んでやろう。


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そうして、アリアは目を覚ましました。
彼女は、自分がどこにいるのか、さっぱりわかりませんでした。
なぜなら、地面はカラカラで、どこまで行っても茶色の景色しか見えないからです。

遠くを見渡そうとした時、彼女はやけに地面が遠いことに気づきました。
どうしてかと思って、自分の体を見てみると、
そこには、ひとの体は存在しませんでした。

体表は真っ赤な鱗で覆われ、燃えているようでした。
木よりも大きな体には、翼と尻尾が生えていました。
そう、彼女は、竜になっていたのです。

アリアはあまりのことにびっくりして、声も出ませんでした。
とにかく、動かないとと思って、翼で飛んでみようとしましたが、
翼の使い方がわからなかったので、その場で倒れてしまいました。

歩くことさえできないのに、からだの温度だけは、どんどんと上がっていくのがわかりました。
夏の魔法のせいでしょうか。
このままだと、自分が太陽みたいになってしまうと思い、急に怖くなりました。

誰かいないの、と叫んでみても。
周りに誰も出てきません。

「なに、してるの、、、」
そんなアリアの前に現れたのは、氷の妖精でした。
彼女は、全身が溶けて、体から湯気が出ています。
今にも消え去りそうでした。
「魔法を、止めて、、、」
そう懇願されたアリアは、夏の魔法を止めようとしました。
でも、竜になってしまった彼女は、魔法の使い方を忘れてしまっていました。

氷の妖精は、そんな竜の体に近づいてきました。
「だめだよ!熱くて死んじゃうよ!」と、アリアは叫びました。
でも、氷の妖精は、その歩みを止めませんでした。

そうして、氷の妖精は。
「アリアは、一人じゃないよ!」
そう言って、ありったけの力を振り絞って、彼女に触りました。

その瞬間、竜の鱗が、燃えるような赤色から、氷のような綺麗な青色に変わりました。

そうして、夏の魔法は解けたのです。
氷の妖精も、夏と一緒に溶けてしまいました。

そして、誰もいなくなってようやく、
竜は、自分がしたことの間違いに気がついたのです。

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そうして、竜は誕生しました。

その翼は嵐を起こし、その咆哮は遠雷を呼びます。
大きな足を大地につければ、そこから花が芽吹きます。
それが、竜の力でした。

竜は、カラカラになった茶色の大地に、緑を戻そうとしました。
それが、自分にできる唯一の贖罪だと思っていたからです。
大地に水を戻し、木々を育て、花を咲かせます。
そうして、長い時間を駆けて、ゆっくりと命が戻ってきました。

竜の統治は決して優しいものではありませんでした。
木々が育てば、嵐を呼び、洪水を起こしました。
生命の力を違う大地へと移すためです。
冬は雪の嵐を呼び、これ以上ないほど寒い土地へと変わりました。
植物達がきちんと種を残すようにするためです。

繰り返し、繰り返し。
竜は命を巡らせました。

春は舞い、夏は鳴き、秋は暮れ、冬は眠りーーー

そうして、誰かと話すこともなく、千年。
竜は、贖いを続けましたーーー。






そんな竜の存在は、人々の畏怖と信仰を呼びました。
霊峰に住む竜として、伝説となっていたのです。

大地に緑が戻ってしばらくすると、人間達がやってきました。

竜に恐れを為して逃げ出す人々、
竜を神として崇める人々、

様々な人間が、竜を訪ねてきました。

そんな中である日、竜を名誉のために狩らんとする人々が霊峰にやってきたのです。
もちろん、竜からすれば、翼を一振りするだけで飛んでいってしまうほど、
人一人などただ脆いだけの存在です。

しかし、人間は集団で、しかも狡猾な知恵を持っていました。
彼らは、霊峰の花畑を荒らしました。
それを見つけた竜は、考える間もなく花畑に向かいました。
竜が到着したところで、人間は一斉に弓を放ったのです。

鏃は鋭く、竜の翼を射抜いています。
飛ぶことができなくなった竜の首を切り落とそうと、
人間達の長が剣を振り立てました。

「お待ちください、長」

しかし、最期の瞬間はやってきませんでした。
人間達の集団の中にいた、一人の少年が、長の剣を止めていたからです。

「なんのつもりだ、パウロ」
「長、この竜は邪悪なものではありません」

パウロと呼ばれた少年は、長に毅然とした声で告げています。

「お前に何がわかる」
「この美しい鱗と瞳を見れば、すぐに」

長と少年は真っ向から睨み合っています。

「止めるか」
「はい」
「では、お前がその身代わりになろうが、良いか」
「はい、構いません。」

少年は、竜を一目見た時から、その美しさに心惹かれておりました。
世界にこれ以上美しい存在など、ないと思っていたのです。
一方、長は、少年を殺した後、竜もすぐに命を絶つつもりでした。
主に反する異端は、狩らねばいけません。

長の剣が、少年を貫こうとするその瞬間。
竜は、なぜか咄嗟に、少年を助けなければいけない、と思いました。
だから、竜はその吐息で、長を花畑ごと、焼いてしまいました。

それを見た他の人間達は、我先にと逃げ帰りました。
残ったのは、傷だらけの竜と、少年一人でした。



そうして、少年と竜は一緒に暮らすことになります。
竜は幸せでした。
なぜなら、竜にとって、千年ぶりにできた自分の友達だったからです。

竜と少年の二人暮らしは大変でした。
なぜなら、少年は小さすぎ、竜は大きすぎたのです。

例えばある日、少年が逃してしまった獲物を竜が代わりに捕まえたり。
例えばある日、その背中に少年を乗せて、マンハッターホルンの雄大な山々をプレゼントしたり。
例えばある日、せっかく少年が残しておいた肉を、竜が知らずに食べてしまって怒られたり。

竜は、繰り返し、少年とたわいもない話をしました。
竜にとって、ただ喋ることだけで楽しいのだというように、
毎日、毎日、少年と語らいました。
竜は、その少年を愛しました。

でも、困ったことが在りました。
少年は、いつまでも少年のままではいられなかったのです。

だから、竜は、千年ぶりに覚えた気遣いを持って、
少年を人間の集団の中に返そうとしました。
ここにいたらあなたは一生一人だよ、と。

でも、少年はこう言いました。
「君がいるよ」と。



そうして、少年は青年となり、壮年となりました。
竜にとって、人間の時間は一瞬です。

だから、竜はその男が死ぬことを認められませんでした。
絶対に男を自分の隣から離れさせないよう、その翼を使って、世界中のあらゆる魔法を探しました。
そうして、人間を不死にさせる方法を見つけました。
竜は歓喜しました。
これで、ずっとずっと、彼は自分の隣にいる、と。

でも、竜は男に、不死の魔法を使うことはできませんでした。
なぜなら、竜は過去、自分のわがままで世界を壊したことを覚えているからです。

竜は、頭がぐちゃぐちゃでした。
彼に死んでほしくない、という想いと、
過去の罪の意識がない混ぜになって、
自分が何をしたいのか、全くわからなくなってしまいました。

そんな時、男は竜に言いました。
「自分が死んだら、トネリコの種と一緒に土に埋めてほしい」

彼女は何も言えませんでした。
なぜなら、彼が死んだ世界にどんな意味があるのか、
果てしない贖罪の日々に何を求めればいいのか、
分からなかったからです。

アリアは、男と一緒にいることで、人間の心を取り戻していました。

そんな時、男は困っている彼女を見て、言いました。
「僕が、綺麗な景色をあなたに見せたいんだ。これは、そのための準備なんだよ。」
竜は目を見開きました。
「だから、お願いしていいかな。」

そうして、男は死にました。
竜は、その涙で彼の亡骸を流してしまわないように気をつけながら、
たった一人で、その大きな爪でゆっくり土を掘り返し、
そこに男の亡骸とトネリコの種を入れました。

そうしてまた、贖罪の日々が始まりました。
彼女は、毎日毎日、彼の墓の前で、その芽が芽吹くのを待っていました。
雨から、風から、雷から。
ありとあらゆるものから、彼女は墓を守りました。
来る日も来る日も、彼女は墓の前で祈りました。




そうして、百年が経った頃。
竜は、今日もお墓に向かって祈っていました。
その祈りの最中、

「お姉さん!そんなところで、何をしているの?」

と、自分の背後から、そんな声が聞こえました。
人間でも入ってきたのかと思い、目を開けてみると。

なんと、彼女の前にいたのは、もう千年以上も見ることができなかった、妖精がいました。
それも、一人だけではありません。
周りを見渡すと、どこもかしこも、森は妖精だらけでした。

そこでようやく、アリアは男の最後の言葉の意味を、そして、遥か昔の、氷の妖精の言葉の意味を理解したのです。

妖精達は自分の周りで踊っています。
すると、彼の墓に埋められたトネリコが、芽吹きました。
妖精たちの「せーの」という掛け声とともに、トネリコが伸びていきます。
その芽は、あっという間に木になり、竜よりも大きくなり、世界樹へと成長しました。

そうして、竜は、妖精たちと共に、世界を見守るようになったのです。

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霊峰には、青き竜が住む。

   大地を肥やし、
ローヌ川の氾濫
  森を潤いで満たし、
シオンの夏の嵐、
     雪解け水を溶かす。
マンハッターホルンの雪雪崩。

割れた大地も、轟く雷鳴も、
竜の鼓動は、即ち天地総てである。


そして竜は祈り続ける。

ーーー彼がいた世界が、今日も暖かな日差しで包まれていますように。
ーーーこの変わる世界で、みんなが健やかに過ごせますように。